映画『この世界の片隅に』考察 私たちは代替不可能な居場所になれるのか
「日常」に食い込む戦争
当たり前の崩壊が起こったとき
すずは「つまらんくらい」普通の人
私たちは「代替不可能」な存在になれるだろうか
おまけ
村上隆の五百羅漢図展で圧倒されてきた。
▲五百羅漢図『青龍』
村上隆の作品を生で見るのは初めてだったので、日本における現代美術の祖とさえ言われる人の作品はどんな迫力なんだろうと、わくわくしながら会場に足を踏み入れました。日本の展覧会にしては珍しく、写真撮影もし放題なので、サイケデリックな色合いが大好きな私としてはもう気合入りまくり、どきどきしまくりでした。
展示自体は4つのセクションに分かれており、おなじみのパンダちゃんやDOP君の作品、円相や抽象を表した作品、達磨やその弟子慧可をモチーフにした作品、そして今回のメインである、青龍、白虎、朱雀、玄武4体の神獣をモチーフにした、五百羅漢図という構成です。
▲人と比べてもこの大きさ!
展示作品にも圧倒されましたが、私が一番興味を掻き立てられたのは、五百羅漢図の製作過程でした。展示室の一角には、村上氏が作品を完成させるまでの過程の映像や資料、スタッフへの指示書などがあり、ひとつの大作が完成されるまでの気の遠くなるような工程が展示されていました。中には「ちゃんと指示書読んだのかバカヤロウ(うろ覚え)!!」のような、見ているだけで恐れおののいてしまうような村上氏のコメントもありました。おっちょこちょいの私が村上氏のスタッフだったら確実にぶっ殺されていたんだろうな……。
村上氏は五百羅漢図の制作を通し、現代美術における徒弟制度を確立したかったといいます。これから現代美術をけん引していくアーティストを育てるためには、従来の学校教育による指導ではなく、師匠や顧客による技術伝達や評価がアーティストたちの修行となり、芸術分野で生き残るための覚悟を育むという、村上氏の教育者としてのスタンスが、この作品を通して体現化したのではないでしょうか。
芸術家の徒弟制度は中世から行われてきたことですし、その時代の芸術家たちは、師匠の技を真近で盗むことで自分技を深めていました。それが現代になって薄まったことで、確かに、芸術家が芸術家として自分自身の力を鍛錬する場が少なくなってしまったのかもしれません。村上氏は、そんな現代におけるアーティストたちの修行の場を再構築しようとしているのだと感じました。
あと、五百羅漢図展を見終わったあと、美術館から見えた夜景はとてもきれいでした。展示期間も残り3週間、夜に行くのもおすすめです。
ルーブル展で必要以上に爆笑してきた。
只今絶賛期末試験地獄です。
翌々日にはテストと1200字のレポート。その次の日には4000字のレポート2本が待っている……そんなことはわかっていました。でも、それでもあえて行ってきましたよ、ルーブル展。最初からチケットには記載されていたのですが、ペアチケットの有効期限が開催初日から1週間なんて聞いてないぜ……
六本木の新国立美術館で、今月の21日から開催されているルーブル美術館展。ヨハネス・フェルメールの「天文学者」が初来日したことで話題になっていますね。
金曜平日だったので、大きな展示にしてはそこまで人が多くなく、天文学者もあまり並ばずに見ることができました。本物の作品では、筆のタッチや色の違いまで鑑賞することができるので、資料の写真からは分からない細かな点によく気づきます。新しくニスを塗ったのか、作品の表面がテカテカし、絵の一部が照明に反射して見え辛いところもありましたが、いつか見ようと思っていた「天文学者」を間近で鑑賞できたので、とても満足でした。
あ、それと意外におもしろかった作品が、トーマス・ゲインズバラ作『庭園での会話』です。作品のキャプションには、この作品は貴族階級の男女2人が庭園で語り合う愛の場面が描かれていると書かれているのですが、人物の表情に注目して見てみると、とてもそうは思えません。
熱心に何かを話す男性は、愛を語っているのか自慢話をしているのかは分かりませんが、こちら側をうんざりしたような眼差しで見つめる女性は、男性に何の興味も示していない様子。2人の周りには花や木がファンタジックに描かれ、一見ふんわりとした印象の作品ですが、よくよく見ると2人の温度差が違い過ぎて、思わず笑ってしまいました。
この展示には他にも、一度は歴史の教科書で見たことがあるであろう『愛を売る女』や、よくフェルメールと比較展示されるピーテル・デ・ホーホの『酒を飲む女』など大御所が勢ぞろいしています。
ルーブル展は6月まで開催しているので、手軽にルーブルを味わいたい方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか。