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ボストン美術館浮世絵名品展~偉才、極彩、北斎~ へ行った。

暇だったので、小学生ですら1度はその名や作品を見たことがあるだろう浮世絵の名手、葛飾北斎の展示「ボストン美術館 浮世絵名品展 北斎」を観に、上野の森美術館へ行ってきました。

この展示では、北斎の初期の作品から晩年の作品までが順番に展示されていました。かの有名な「富嶽三十六景」シリーズや「雪月花」シリーズを始めとした有名な作品が多く、大人から子供まで楽しめる展示だったのではないかと思います。

今まで浮世絵に薄らぼんやりとしか興味を持っていなかった私でさえも、北斎の魅力には思わず惹きつけられてしまいました。そこで今回は、私が展示を通して感じた北斎の魅力を、今までの記事とは違った形で紹介したいと思います。

 

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北斎の魅力① 描写力

日本だけではなく世界でも人気の高い北斎の作品。その人気の理由は何よりも彼の優れた描写力にあるのではない科と思います。もちろん彼の作品がバラエティに富んでいることや、浮世絵自体の色彩の豊かさが、より作品の魅力を引き立てていることは間違いありません。しかし、北斎の人並みはずれた描写力によって、平面的な浮世絵に写真のようなリアルさが吹き込まれています。

たとえば、花鳥画シリーズのひとつ「芍薬とカナアリ」は、いうなれば江戸時代のスナップショットです。咲き乱れる芍薬の上をカナリアが飛ぶ一瞬を捉えたこの作品は、当時の絵の技法からは考えられないくらいの花の描写の緻密さ、そして躍動感が1枚に切り取られています。

よく浮世絵は平淡で、陰影がなくつまらない、という声を聞きます。確かに歌川広重など他の浮世絵画家の作品は、比較的陰影を廃し、人などの描写も画一的な場合が多いかもしれません。しかし、彼は、描く対象に対する緻密な描写と当時の浮世絵師が思いもつかなかった大胆かつ計算された構図によって、時代を先取りしたかのような作品を次々と生み出してきたのです。

 

 

北斎の魅力② 奇行

北斎は生涯にわたって、多くの改号をしたことで有名です。私たちの良く知る「北斎」という名前の他に「春朗」「群馬亭」「為一」「美浦屋八右衛門」「魚仏」など、なんと30回も名前を変えたと言われています。特に衝撃的な名前は晩年の北斎が好んで使用したという「画狂老人卍」。何を思ってこの名にしたのかは本人に聞いてみないと分かりませんが、作品に画狂老人卍などと署名されていたら目を疑います。2度見しても飽き足らない、というかフザけているのかとすら思う……

因みに北斎春画も描いており、その際の改号は「鉄棒ぬらぬら」。うわあ、なまなましい。

 

また、北斎の特筆すべき行動は他にもあります。引越し魔との異名をとる彼は、人生においてなんと93回も転居したと言われています。作品を描くために様々な場所へ赴き、本物を見ながら絵を描こうと思っていたのかもしれませんが、一説によると1日に3回引っ越したこともあったとか。江戸住民は比較的良く引っ越したとされているものの、さすがは北斎、わけわからん。

 

 

北斎の魅力③ 新しいものへの粘り強い挑戦

今も昔も並外れた描写力と構図の取り方で世界中の人を魅了している北斎ですが、その作品は簡単に生み出されたものではないようです。

たとえばチケットにも掲載されている「神奈川沖浪裏」の斬新な構図。これは、ドガなどの印象派画家にも影響を与えたといわれています。しかし、実はこの構図を完成させるまでには13年もかかっており、ひとつの作品に対する北斎の情熱が伺えます。思わずまねしてしまいたくなるような構図は、簡単には作られないんですね。

また、西洋絵画に多大な影響を与えたといわれている彼の作品ですが、彼自身も西洋絵画から様々な細かい技術を学ぼうとしていたようです。中でも顕著なのが「ぎやうとくしほはまよりのぼとのひかたをのぞむ」という作品で、これは、北斎が西洋のサインを真似て自分の署名を横書きにした研究の成果といわれています。

 

この展示はかなり前に終わってしまい、今は同美術館で「進撃の巨人展」を行っているようです。オキュラスリフトで巨人に喰われる恐怖を味わえるらしいので、ちょっと気になりますね。